バイシクル特集

2019/3/13 更新

2019年、Jプロツアーに復帰するオキナワの覇者 紺野元汰【La PROTAGONISTA】

■■■ PERSONAL DATA ■■■
生年月日/1993年3月15日生まれ   身長・体重/163cm 58kg
影響を受けた選手/品川真寛選手 座右の銘/覚悟が己を強くする

イナーメ信濃山形 紺野元汰

HISTORY
2008-2011 平塚工科高校
2011-2014 湘南ベルマーレロードチーム
2014-2015 イナーメ信濃山形
2018    SBC
2019    イナーメ信濃山形

2018年に劇的な現役復帰を遂げる

自分の限界に挑み、一度自転車競技にピリオドを打った紺野元汰。
2015年に現役を引退し、会社員として働きだしてからは選手時代の体型も失った。選手間では誰もが彼の復帰はないと思っていた。しかし、2018年に3年ぶりにJエリートツアーから競技を再開した。
Jエリートツアー開幕戦の修善寺ロードで3位入賞、非常に高いポテンシャルが必要となるコースでの入賞は、彼の競技復帰にかける本気度をうかがわせるものだった。
その後、鴨川クリテリウム、東日本ロードクラシックで2連勝。勝利をあげるごとにその活躍はJプロツアーの選手にも勝る話題をさらっていった。
レースでは攻め続け、以前の現役時代を凌駕する「勝ち」へのこだわりが、彼の眼光には写っていた。Jエリートツアー年間5勝をあげ完全復活。
社会人レースの最高峰ツールド・おきなわ市民210を制し、2019年、彼は古巣のイナーメ信濃山形でJプロツアーに復帰することを決意した。

恵まれた環境に育まれた選手の下地

神奈川県平塚市、関東平野のなかでも比較的温暖で、丘陵地に囲まれた地形で紺野は育った。
この近辺で活動する強豪選手やチームは多く、かつてはミヤタレーシングや日本舗道の拠点でもあった。彼の若手時代には鈴木真理選手、品川真寛選手、そして別府史之選手などパートナーに恵まれた。「アップダウンやトリッキーな地形が多く、仲間とペースで走っているだけでインターバルにも強くなっていました。この環境で掛け合いになればテクニックや気持ちこそが重要で、メーターも付けないで走っていた時代もあったほどです。データにとらわれないことで第六感ともいえる直感が研ぎすまされました」
持ち前の彼の負けん気の強さは幼少期から培われたもの。バレーボールで国体選手だった母と体操選手だった父を持ち、小柄ながら体幹の芯が強く、身体も柔らかい。
運動能力に優れ学年では誰にも負けない少年時代を送った。何でも競争となる友達との遊びは自転車にも及んだ。
「地元で有名な湘南平(最大勾配14%の3㎞の激坂)をママチャリで競争。ハンドルにしがみつきながら駆け上がりました」
草なぎ剛主演の「僕の歩く道」(2006年フジテレビ)でロードバイクの存在を知り、ツール・ド・フランスの華やかさに導かれた。
「僕にはこれしかない!」入学した平塚工科高校で自転車部を作り、自転車競技の選手となった。
「とにかく速くなりたかった。競技自体も漠然としすぎていて、誰のイメージも湧かない。とにかく平塚から箱根へ毎日通うことで強くなれると思っていた」
さらに、偶然にも同じ神奈川を拠点とする高体連の同期選手、面手利輝(元ブリヂストン)、 木下智裕(現キノフィット代表)とめぐりあった。
「ともに走るメンバーが活躍し、その彼らと競うことでプロ選手への道筋がみえてきました」
高校卒業後は地元の有望な若手が集まるJプロツアーチーム、湘南ベルマーレロードチームに入団した。
「プロ予備軍といったメンバーのなかで、アンダー23で日本一になりプロを目指す」と心に決め競技を続けた。

小さな身体から繰り返しスプリントできるのが紺野元汰の強さ。古巣イナーメ信濃山形から復帰

日本一を目指したアンダー時代

気持ちの強さはレースを動かす。
けっして恵まれた体格ではない彼がアンダー23時代にJプロツアーで見せてきた走りは見事だった。大柄の選手をしのぐ高いテクニックでトリッキーなコースを得意とし、鋭いラインから大きなアドバンテージを生み出すコーナリングは彼の持ち味だった。
2014年のJプロツアー知多半島・美浜大会では、序盤にできた阿部嵩之、入部正太朗を含むエスケープにジョイントし4位に食い込んだ。
それでも「僕の意識はいろいろな意味でアマチュアでした」と言い切る。
「アンダー23で区切りを付けようという決意が、逆にどこか走りを甘くし、真理さん、品川さんなどプロで勝てる選手が間近にいながら大切なことに気づけなかったことがすべてでした」。
アンダー23時代の活躍をこう振り返った。「成長はできていたもののJプロツアーではプロ選手たちへ挑むことが目標でした。入賞することで満足していた。すべては同世代と戦う全日本選手権ロードアンダー23での勝利を目指して……」。
アンダー最後の年となった2015年那須高原での全日本選手権ロード。中盤にできた山本大喜(現キナン)、小山貴大(現シマノ)ら7名のエスケープにチャンスを見出し、単独でブリッヂした紺野。
クラブチームという立場から、単騎で戦うポジションで勝利にこだわった決意の走りだった。
ラスト2周でメイングループに飲まれたときに彼の自転車競技人生は終わりを告げた。「やりきった、悔いもない……」。
それから2年間、毎日踏み続けたロードバイクを見ることもなくなっていた。

新たなプロ意識が生まれる

自転車業界へ転職した2017年、神奈川を拠点に展開するサイクルショップSBCが彼の運命を変えた。
「販売員として再び自転車に触れる日々。ある日、会社が僕が元選手であったことを知って、会社の宣伝のためにもう一度本気で競技に取り組んで欲しいという話をいただきました」
そして、SBCの看板を背中に彼はトレーニングを再開した。
すっかり変わってしまった体型も、細胞ひとつひとつが刺激され昔の身体へ近づいていった。
「復帰の舞台はJエリートツアー。いち社会人としてフルタイムワーカーとしてイコールコンディションで戦えるレースに魅力や意義を感じました。Jプロツアーに次ぐカテゴリーでありながら、脚が磨かれたトップレーサーとの試合は刺激的でした。なによりもかつてと違ったのは『この中で僕は勝たないといけない』ということ。月2000kmにも及ぶ走行距離。限りある練習時間をフルに使ってレースに挑みました」
そして、かつてトッププロたちと乗っていた経験がここで開花した。
「たとえ一度登坂で千切れてしまっても、勝つシナリオを持ち続けレースを制してしまう鈴木真理さん。キツい場面からたたみかけるように自分を追い込みレースを決める品川真寛さん。彼らが持っていた『勝ちへのこだわり』がようやく理解できました」
そして、2018年シーズン、すべての集大成が市民レースの最高峰、ツール・ド・おきなわ市民210の優勝となった。
「社会人の僕が活躍することでエンドユーザーにも活躍を知られることができる。目に見えて会社の売り上げにも貢献できた。ほんとうの意味でかつてなかったプロ意識が僕には芽生えていました。やはり僕は自転車の上でこそピュアに自分でいられるんです。今年はJプロツアーに再挑戦します。かつて成し遂げられなかった勝利を目指して!」
いよいよ機は熟した。Jプロツアーレーサー紺野元汰の爆進劇に期待したい。

REPORTER
管洋介

アジア、アフリカ、スペインと多くのレースを渡り歩き、近年ではアクアタマ、群馬グリフィンなどのチーム結成にも参画、現在アヴェントゥーラサイクリングの選手兼監督を務める

AVENTURA Cycling

(出典:『BiCYCLE CLUB 2019年3月号』)
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